新曲「Born To Be Free」はなぜ作られたのか?

2015年11月6日にアルバムの先行シングルとしてリリースが決定した新曲「Born To Be Free」。この楽曲は、2010年のX JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMAで初披露されて以降、ライブ定番曲となりました。

メディアでは1stシングルという扱い方をされていますが、X JAPAN復活後では「I.V.」、「JADE」、「Scarlet Love Song -BUDDHA MIX-」に続く4曲目の配信楽曲で、2010年には、ほぼ完成していたことが過去のYOSHIKIのインタビューから明らかになっています。

それにしても、この「Born To Be Free」が発表された当時、昔ながらのX JAPANファンはどこか「違和感」を覚えたのではないでしょうか?

その「違和感」は楽曲の完成度と意味でも、演奏のクオリティという意味でもありません。
妙な「違和感」を感じるのは、この楽曲の「X JAPANらしからぬメッセージ性の強さ」ではないでしょうか?

サビの歌詞を訳すと、

Born to be free (自由になるために生まれた)
(Free forever(永遠の自由))
Born to be free (自由を勝ち取るために生まれた )
(Now and forever(今もこれからもずっと…))
Nobody can steal our life away (誰にも私達の人生は奪えない)
(Steal our freedom (私達の自由を解放して))
(away from ourselves ((奪う者よ)私達から去って…))
Born to be free (自由になる為に生まれた)
(Free forever(永遠の自由))
I want to be free (解き放たれて自由になりたい )
(We won’t surrender(私たちは降伏などしない))
will be forever be free to love (永遠に自由でいたい、本当の愛を知る為に )

と、自由を求めるために何かに立ち向かおうとする強い意志が読み取れます。

普段YOSHIKIは「楽曲の意味」については、多くを語ろうとしません。
聴いてくれた人、それぞれが解釈してくれればよいというスタンスです。
しかし珍しく配信決定時にYOSHIKIはコメントを出しました。

『BORN TO BE FREE』を作曲し始めた時、この曲はX JAPANにとって、とてもスペシャルな曲になると確信しました。この曲を通して聴いてもらう人にそれぞれご自身のストーリーを重ねていただけたら嬉しいです。誰もが自由という名の下に生まれ、無限大の夢に向かって生きることが出来ると思っています。

と「抑圧からの自由」と「夢の実現」という前向きなメッセージが込められていることを敢えて公表したのです。YOSHIKIが楽曲の意味について自らコメントを出すのは、筆者の記憶にある限り初めてだと思います。

なぜYOSHIKIは「Born To Be Free」を作ったのでしょうか?そこに込められたYOSHIKIの想いを考察してみます。

YOSHIKIは誰から抑圧されていたのか?

「Born To Be Free」が2010年時点でほぼ完成していたとすると、曲の制作は遅くとも2008年後半~2009年頃から始まっていたと考えられます。

この時期のX JAPANの活動を振り返ると、

2008年12月31日
・赤坂BLITZで『X JAPAN COUNTDOWN GIG 〜初心に帰って〜』を開催。
2009年1月16-17日
・香港で初海外公演となる『X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG』を開催。
2009年5月2-3日
・東京ドーム公演『X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO 〜攻撃続行中〜』を開催。
・SUGIZO正式加入。
2009年5月30日
・海外2回目公演となる『X JAPAN WORLD TOUR Live in TAIPEI』が開催。

と半年間で6回のライブを開催。SUGIZOが正式にX JAPANに加入するなど、一見すると順風満帆なバンド活動のように思えます。

しかしこの時期のX JAPANは、裏で様々な問題を抱えていました。後に公になった件も含めると、「HEATH脱退騒動」「コンサートギャラ未払い訴訟(訴えを起こしたのは2010年)」「hide肖像権問題」など、いずれも当時X JAPANのマネジメント業務を統括していた「X JAPAN制作運営管理委員会(以後、X JAPAN委員会)」との対立によるものです。

「X JAPAN委員会」とは、X JAPANの復活を強力に後押しした人物が中心となって作られた組織で、X JAPANの復活直後はあらゆる場面でこの名前が登場していました。

「X JAPAN委員会」については、ここでは多くを語りませんが、YOSHIKIは「X JAPAN委員会」と様々なトラブルを抱えていたことが推測できます。

そして5月30日『X JAPAN WORLD TOUR Live in TAIPEI』ライブ以後、その後に「X JAPAN委員会」から発表されていた、すべてのライブはキャンセルとなりました。

表向きには「YOSHIKIの持病である頸椎椎間板ヘルニアの手術」のためと報道されましたが、手術を行ったことは事実であるものの、敢えて年末までの予定をすべてキャンセルし、このタイミングで手術に踏み切ったのは「X JAPAN委員会」との決別を鮮明にしたい、YOSHIKI側の意向が大きかったのではないかと思います。

ここからは更に推測ですが、このとき発表されていたライブは、全国ドームツアー、マディソンスクエアガーデンでの全米デビューライブなど、大規模会場でのライブツアーでした。すべてキャンセルしたのは、これらの活動がYOSHIKIの意向、X JAPANの将来を踏まえたものではなく、「X JAPAN委員会」が求めた商業的ライブの意向が強かったからではないでしょうか。

2008年のX JAPAN復活ライブ後のインタビューでYOSHIKIは、「期間限定の活動から、少し長くできるかも。」と末来を示していました。2009年はYOSHIKIの中でもう一度X JAPANで世界を目指すために「腹を括った」時でもあり、YOSHIKI自身が「X JAPAN委員会からX JAPANを自らの手に取り戻す」ことを実行した時でもあったのです。

さらに同時期、TOSHIにも事件は起こっていました。兼ねてから洗脳疑惑があった団体からの「TOSHI拉致事件」が発生。この事件が決定的となり、TOSHIが10年以上、洗脳され、搾取され続けた洗脳団体と決別し、自由を手にします。※「TOSHI拉致事件」の詳細は『Toshl (著) 洗脳 地獄の12年からの生還』に書かれています。

これらの経緯を踏まえて「Born To Be Free」を聴くと、なぜYOSHIKIがこの曲を作ったのか少しは理解できると思います。「Born To Be Free」には、この時期、バンドやメンバーに起きた、様々な壁やトラブルを乗り越えて、X JAPANの新たな一歩、世界に向かって自由の翼を手に入れたいと願う、YOSHIKIの確固たる決意が込められているように感じてならないのです。

※ちなみに「Born To Be Free」の歌詞を考えると過去のYOSHIKIであれば、作詞のクレジットは「白鳥瞳」のほうがしっくりきます。しかし本楽曲の作詞は「YOSHIKI」です。復活後のYOSHIKIは、自分の気持ちを敢えてペンネームで表現する必要がなくなったのかもしれません。

YOSHIKIのペンネームについては「貴方はいくつ知ってる?YOSHIKIのペンネームの秘密」をご覧ください。
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コメント

  1. 小林美里 より:

    作曲家として配信しました