「龍玄とし」と「X JAPAN Toshl」の複雑な関係

1997年のX JAPAN解散の決定的な引き金となったToshlの洗脳騒動。その後、2007年にX JAPANは復活したが、自己啓発セミナーとの実質的な決別は2010年。そこからToshlの新たな人生が始まったと言っても過言ではない。特にここ数年は、バラエティ番組への出演だけでなく、CM、カバーアルバム、さらに2019年9月からは上野の森美術館で初の個展を開くなど、ボーカリストとしてだけでなく、マルチな才能を発揮しているToshl。特に2018年からソロ名義を「龍玄とし」に改名してから、ソロ活動は勢いを増すばかりだ。

しかしファンからするとなぜToshl名義ではなく、わざわざ「龍玄とし」にソロ名義を変えたのか?ソロでもX JAPANの「Toshl」と名乗ったほうが知名度も圧倒的で一見すると合理的な判断に思えるが、それでもToshlはあっさりとソロ名義を「龍玄とし」に変えた。その理由について本人はインタビューでこう語っている。

いままでの自分のカテゴリー以外のところに、どんどんチャレンジしていこうと。「Toshl」っていう名前でもいいんですけど、苗字があった方が単純にいいかなって。「トシ」って聞くと、世代によってはトシちゃん(田原俊彦さん)がまず先に浮かぶ人もいますから(笑)<中略>心機一転、強そうな名前がいいなと。「四神」が二つ入ってるので、縁起がいいですよね。Toshlが「龍玄とし」に改名した理由(BUZZ FEED NEWS)

ほとんど命名の由来の話になっているが、本当にトシちゃんと被るのが嫌ならEXILE ATSUSHIのようにX JAPAN Toshlでもいいわけだ。そうしなかった理由はなぜか?そこからToshlが背負うX JAPANのボーカリストとしての計り知れない重圧と使命感が見えてくる。

ここまで読んだ方は、いやいやLUNA SEAのRYUICHIは河村隆一、Janne Da ArcのYasuはAcid Black Cherry、hideだってソロ後期にはhide with Spread Beverを名乗っているし、バンド名義のままソロ活動してるボーカリストのほうが圧倒的に少ないでしょ。だからToshlが「龍玄とし」と名乗るのも、X JAPANとは別の自分を表現したいからじゃない?と考えるだろう。

しかし通常のボーカリストのソロ活動と、「龍玄とし」のソロ活動で決定的に違うことが一つある。「龍玄とし」のオフィシャルサイトにはX JAPANの表記は一切ないプロフィールにすらない。NEWSカテゴリにX JAPANのチケット先行のお知らせはあるが、「龍玄とし」自身が主体的にX JAPANに触れることは皆無に近い。

「龍玄とし」の公式ブログでは、コンスタントに記事を更新しているが、2019年7月時点で345記事中、X JAPANに触れた記事は2018年の幕張メッセ公演と、ドリームフェスティバル出演時の4件のみ。この4件も「龍玄とし」の立場で書かれている。2018年に入ってから、X JAPANの活動がほぼないので当たり前と思うかもしれないが、重要なのはX JAPANの活動を報告するときも「龍玄とし」なのだ。

そう「龍玄とし」のソロ活動が他アーティストと決定的に違うのは、「ソロ名義」が違うことではなく、X JAPANのToshlは「龍玄とし」にとっては「別人のよう」であることだ。奇妙な言い方だが「龍玄とし」にとって、X JAPANのToshlは近くにいる他人のような存在のように見える。

誤解のないように言っておくが、Toshlが二重人格と言っているわけではなく、ToshlはあくまでToshlだが、「X JAPANのToshl」とは意図的に距離を置こうとしているのでは?ということだ。なぜか?Toshlの気持ちになって考えれば想像に難くない。

X JAPANはいまや世界に通ずる偉大なロックバンド。
そのバンドのフロントマンであり、その一挙手一投足は常に世界中から注目される。
ソロ活動でも常に期待されるのはX JAPANのToshlとしての振る舞い。
X JAPANのゴシップ記事には必ずと言っていいほど当事者として名前が挙がる。
ファンは運命共同体。Xに人生すべて懸けるほど熱狂的なファンがいる。

ちょっと考えただけでも普通の人なら発狂しそうな、吐き気を催すような壮絶なプレッシャーと責任感が必要なことぐらい誰でも理解できるだろう。

hideは1990年のインタビューで「Toshlはロック界きっての一般人」。そんな表現でToshlのパーソナリティの重要性を語っていた。そう普通の人ならとっくに精神が壊れてもおかしくないポジションで、Toshlは自分を見出そうと必死に藻掻いている。一時期、自己啓発セミナーに傾倒するほど、壮絶なストレスの中で人生を駆け抜けているToshlにとって、「龍玄とし」の主体化、「X JAPANのToshl」の客体化は、洗脳とは別の自己防衛手段なのかもしれない。

だからこそ本当のX JAPANのファンであれば「龍玄とし」の活動だけを見て、安易に批判や苦言を呈さないでほしい。ToshlはToshlなりのやり方で、X JAPANのボーカリストとして在り続けるために「龍玄とし」という別の自分が必要だった。一時でも「X JAPAN」という重荷を降ろして、自分なりの生き方を模索し、チャレンジし続けることで、ギリギリのところで「X JAPANのToshl」を成り立たせている、そう考えることはできないだろうか。

2019年の今この瞬間もX JAPANが存在していること。そして、メンバー全員がX JAPANをなくしてはならないという強い使命感を持っていること。同時に逃げ場のない強烈なプレッシャーの中、正気を保つためには、メンバーそれぞれ発散する何かが必要だ。Toshlの場合はそれが「龍玄とし」としてのソロ活動だった。そう考えると、我々ファンが掛けられる言葉は一つしかない。

「どんな時でもX JAPANを続けてくれて、本当にありがとう。」

「龍玄とし」と「X JAPAN Toshl」の複雑な関係
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