今の時代のhideとの向き合い方

1998年5月2日。

あの日、突然僕らの前から姿を消したhide。その現実を受け入れることもできぬまま、僕らは貪るように、hideの生きていた過去にhideの居場所を探した。それは未発表曲や書籍、グッズ、リミックス、ボーカロイド、ライブでの3D投影…様々な形で実態化され、2016年の今もhideがまるでこの世に生きているかような、不思議な錯覚をもたらす。また同時にhideはもうこの世にいないのだと、生と死の無限の反復を繰り返す。

hideが亡くなって10数年間、僕らはこの反復を何度繰り返したのだろうか。hideが生きた過去から新しいhideを見つけるたびに、僕らはその1つ1つに熱狂した。なぜならもうこの世にhideが存在しないことを認めたくなかった。辛いはずの生と死の反復を止めてしまうことが怖かった。反復を止めた先にはhideはもうこの世にいない。その事実を受け止めることなど、誰もが到底出来なかった。

しかしもうこれ以上、hideの居場所を、hideが遺した過去に求めることに、限界が来ていることもわかっていた。だからこそ僕らは改めて自分に問いかける。

「いまhideは一体何処にいるのか?」

あの日以来、自問自答を繰り返した永遠にわからない問いを、改めて考えるきっかけになったのはhide 50th anniversary FILM「JUNK STORY」の中で発したYOSHIKIの一言だった。

「hideという物語はまだ進行形なんじゃないかな・・」

YOSHIKIはいつの間にかhideの幻影を追うのを止めていた。1998年5月2日で止まったhideの時計の針は、いつしかYOSHIKIの中で動き始めていたのだろうか。

それを裏付けるかのような、1つの事実がある。
YOSHIKIが亡きhideに捧げた鎮魂歌「Without you」が、2010年を最後にX JAPANのライブで披露されなくなったのだ。さらに過度にhideの過去映像をスクリーンに投影する演出もなくなった。

さらに2015年のJAPAN TOURでは、今までと違った形でhideのソロが披露された。TOSHI、PATA、HEATHの三人による「DRAIN」の演奏。

X JAPAN復活後も「DRAIN」はライブで何度か披露されていたが、JAPAN TOURではメンバーソロの合間に演奏されたのだ。
TOSHIは一度もそれを「hideのソロ」とは言わなかった。言う必要もなかった。当然、スクリーンで「昔のhide」の投影もいらなかった。3人と一緒のステージ立ってギターをかき鳴らしている、かっこいいhideの姿が見えた気がした。

いつしかhideは過去から解き放たれ、残されたメンバーの中で、今を生きる存在になっていた。スクリーン越しにしか見れなくなったはずのhideが、「X JAPANのいま」を通じて感じることができる。

あの日からhideはどんな物語を紡いできたのだろうか。ずっと探し続けていた現在進行形のhideの居場所を、もうすぐX JAPANのNewアルバムが教えてくれると確信している。

「hide、おかえり。」

アルバムを聴きながら、赤みがかった曇り空に向かって、そう言える日を僕らはずっと待っている。

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