ロックミュージシャン氷室京介がライブ活動を無期限休止するという唐突なニュースが、日本中を駆け巡ったのは記憶に新しい。そして2016年5月23日、自身の宣言通り35年間のライブ活動に区切りをつけた。
言うまでもなく氷室京介といえば、80年代に巻き起こった日本のバンドブームを牽引し、現在まで第一線で輝き続けている希有なアーティストの一人だ。その氷室が様々な理由でライブ活動を無期限休止するという決断は、同じ時代を駆け抜けたアーティストの「引き際」を考える一つの契機となるだろう。
氷室がBOØWYのボーカリストとしてメジャーデビューを果たしたのは1982年。X JAPANはその7年後の89年なので、氷室のほうが年齢も活動期間も長い。X JAPAN以降、多くのビジュアル系と呼ばれるロックバンドが生まれたが、その多くは結成から数年後にバンドの「解散」という引き際を選択した。(時にそれはメンバーの悲劇的な死によって、活動休止を余儀なくされたバンドも含まれる。)
80年代に生まれたビジュアル系と呼ばれるバンド達は、時代の中で栄枯盛衰を繰り返し、今でも音楽シーンの第一線で活動を続けているバンドはごくわずかとなった。いやビジュアル系に限らず、全盛期と変わらぬ人気を保ち続けている国民的バンド(アーティスト)は、今や日本で数えるほどしか存在しない。
2000年代に入り、X JAPANを初めとする多くのバンドが復活を果たした。中には期間限定の再結成を謡うものや、数回ライブを行っただけで実質活動休止中のバンドもあるが、その多くは、一時の話題を浚うも、一部のファンを除いて、記憶の彼方に忘れ去られてしまうものであった。
しかし「国民的」と枕詞が付くアーティストたちはそうはいかない。彼らの一挙一動は、ファンのみならず日本中(あるいは世界中)の関心事となる。
最近のSMAP騒動はその最たる例だろう。本人たちの真意は計り知れないが、1アーティストの解散報道が、ファンだけでなく日本中を巻き込むこととなり、解散阻止の大きな原動力となったのは間違いない。それは結果的に、「SMAPという集合体」にとっては喜ばしいことであったと同時に、もはやそこに属するアーティスト個人の意思だけでは、SMAPの未来を決められない領域に踏み入れていることを世間に知らしめた。
そういう意味で氷室の決断は、影響力の大きい「国民的」アーティストの中で、初めて「解散や引退以外の新しい引き際のカタチ」を自らの意思で提示したと言えるだろう。ライブ活動休止を嘆くファンは多いが、これから先、年を重ねても氷室京介が氷室京介であり続けるための最善の選択が、ライブ活動無期限中止だったのではないだろうか。
氷室のライブ最終日には、YOSHIKIをはじめ、GLAYのメンバー、hydeといった国民的アーティストたちが駆け付けた。彼らは単に活動休止前のラストライブを憂うために、足を運んだのだろうか。いずれ自分たちにも訪れる「アーティストとしての引き際」を、氷室の姿に重ねて視てたのかもしれない。
X JAPANはメジャーデビュー30周年を目前に控え、日本のロックシーンにおいてビジュアル系バンドとしては誰も経験したことのない時間軸に突入する。X JAPANがX JAPANであり続けるための「引き際」と「攻め際」はどこなのか。それはまさにYOSHIKIの代名詞でもある「破壊」と「創造」の鬩ぎ合いの先を知ることに等しいと言える。
近い将来、X JAPANにも何かしらの「引き際」を迫られる時がくるかもしれない。それを私たちはどう受け止めるべきなのだろうか。その答えは知る由もないが、氷室京介がそうであったように、X JAPANの切り開く未来が、X JAPANを取り巻くすべての人にとって最善であってほしいと願わずにはいられない。